Karl Lagerfeld(カール・ラガーフェルド) 1933-2019
白髪のポニーテール、黒のサングラスとグローブ、襟高のシャツとスーツというスタイルは、ファッション好きなら誰しも見覚えがありますよね?
彼こそ、モード界の帝王と称される、カール・ラガーフェルド。
惜しまれつつ、2019年2月19日(仏現地時間)にこの世を去りました。
現代ファッションを創造し、業界を牽引してきた彼の軌跡を辿ります。
若くして開花した才能
1933年ドイツ・ハンブルク生まれのカールは、パリのファッション学校で基礎を学びます。(あのサンローランと同級生!)国際羊毛事務局主催のコンテストのコート部門で優勝したことをきっかけに、「BALMAIN(バルマン)」のアシスタントとして働き始めました。その後「Jean Patou(ジャン・パトゥ)」でオートクチュールをデザインし始めます。
■コンテストでの1枚。
一緒に写っているサンローランは、ドレス部門で優勝しました。
キャリア中期
「KRIZIA(クリツィア)」、「CHARLES JOURDAN(シャルル・ジョルダン)」、「VALENTINO(ヴァレンティノ)」でキャリアを重ねますが、オートクチュールの世界に幻滅したカールは、イタリアに渡りアートを学びます。この経験が、彼の大きな財産になったと、後に語っています。
1964年、フリーランスのデザイナーとしてCHLOE(クロエ)と契約。初めは数点のデザインのみでしたが、徐々に才能が認められ、全てのデザインを担当するまでに。1978年まで契約が続いた後、1992年から1997年の6年間も、再びクロエのデザイナーとして活躍します。
1967年には「FENDI」のファー・ラインを刷新するべくデザイナーに就任。以後、彼の人生が幕を閉じるまで、トップ・デザイナーを続投しました。
■カールがデザインした「FENDI」のジャガーコート
■カールが手がけた「CHLOE(クロエ)」のルック
■自身を模したキュートなアイテムも多数発表
CHANELのデザイナーに抜擢
ディレクティブの評価を確かなものにしたカールは、1983年にCHANEL(シャネル)のアーティスティックデザイナーに抜擢されました。貴族出身の元祖スーパーモデル、イネス・ド・ラ・フレサンジュをミューズに据え、ココ・シャネルが作り上げたエレガンスを現代的に再解釈することで、当時低迷していたブランドを蘇らせます。シャネルは、彼の力をもってハイファッションの頂点へと登りつめたのです。
「私の仕事は、彼女(ココ・シャネル)が既にやったことをなぞることではない。彼女が『これからやったであろうこと』をすることだ。」
■1987-1988 CHANELの秋冬コレクション
■全ての女性のあこがれ、CHANELのハンドバッグ
シャネルのバッグのルーツでもあり、1955年2月発売ということが名前の由来になったチェーンバッグ、「2.55」。カールはこのクラシカルなバッグを、現代的にリデザインし発表しました。今もなお、普遍的ITバッグとして、世界中から愛されています。
■名前を冠したブランドも人気
シャネルのデザイナーを手がける一方で、自身のブランド「Karl Lagerfeld(カール ラガーフェルド) 」も立ち上げました。明るい色を配した気軽なデザインや、愛猫や自分自身を模したキャッチーなアイテムが特徴です。
CHANELの後任は?
CHANEL(シャネル)は、Virginie Viard(ヴィルジニー・ヴィアール)を後任のディレクターとして指名。カールと共に30年以上仕事した彼女は、「右腕だけじゃなく、左腕でもある」とカールに言わしめるほど、固い絆で結ばれていたようです。カールを踏襲するのか、新たなクリエイションが生まれるのか、これから注目していきたいですね。
ファッション界は次の時代へ
■莫大な遺産を引き継ぐといわれている、愛猫シュペットと共に。
シャネルの復活劇をはじめとする、彼のファッション界への貢献度は、計り知れないものがあります。彼の天才的な創造性は、まさに唯一無二の宝だったのです。
彼がこの世を去ったことで、「ラガーフェルド登場前と、彼の死後」という、ファッションの歴史を分ける、大きな指標ができることは確かでしょう。