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衝撃的な《ケイトの死》
2018年6月5日にケイト・スペードのデザイナーとして世界中から愛されていたケイトがNYのパークアベニューにある彼女の自宅アパートで死亡しているのが発見された。彼女は55歳だった。
テイラー・スウィフトやビヨンセ、英国キャサリン妃など著名人の愛用者も多く、鮮やかな色使いで身に着けているだけで人々の心を元気でハッピーさせてくれる【kate spade(ケイト・スペード)】は1993年のブランド創設以来、現在も世代や国境を超え愛され続けている。
世界中の人々を彼女の魔法のデザインで幸せにしてくれたケイトに一体何があったのか?国内ニュースでは報道されなかった『ケイト・スペードの死の真相』に迫ります。
ケイトの人生~ブランド誕生秘話~
彼女の死の真相に近づくには、まず彼女がこれまでどんな人生を送ってきたかを知る必要があるはず。
【Kate Spade(ケイト・スペード)】のデザイナーとして世界的に知られる彼女は、1962年12月24日に命名クリスマスイヴにキャサリン・ノエル・ブロスナハンとしてこの世に生を受けます。米国ではキャサリンという名前の王道なニックネームがケイトである為、周囲からは”ケイト”として親しまれていた。(※2016年には本名キャサリン・ノエルブロスナハンからケイト・バレンタインへと改名)
アメリカのミズーリ州のカンザスという田舎に産まれ、世界に名の知れたファッションデザイナーになっても”カンザスガール”の心を忘れることはなかったそう。
ケイトは元々”デザイナーになりたい!!"という夢は持っていなかった。
コンストラクション業界のオーナーである親を持つケイトは母親のジュエリーボックスをあさって遊ぶのが好きでしたが、若かりしき頃『シャネル』の存在すら知らなかった彼女は、自分が”ファッションアイコン”になるなんて夢にも思っていなかった。
ある日、小さなメキシコ料理屋さんで突然思いついた”ケイトスペード”というブランドのアイディアを1993年に実現させてから、世界中で愛されるブランドになるまで成長させた。
ケイトの人生~パートナーとの出会い~
その後、アリゾナ大学でジャーナリズムを学ぶ為、故郷のカンザスを離れることとなる。
同時にデパートの婦人服売り場でも働いていた。その同じデパートの紳士服売り場で働いていたのが、将来のビジネスパートナーでもあり旦那様ともなるAndy Spade(アンディ・スペード)であった。
ある日、「車が壊れてしまったから送ってくれないか」とアンディにお願いをされたことが2人の出会いとなる。『私達は本当にとても気の合う良い友達から始まったのよ』と語るケイト。アンディの車が”壊れ続けている”という口実により、頻繁に2人で時間を過ごすことが多くなり次第に恋人の関係に。そして、1994年に結婚し永遠の愛を誓います。
ケイトの人生~娘の誕生~
その後、2人は2005年にFrances Beatrix Spade(フランシス・ベートリックス・スペード)と名づけられた娘を授かります。
娘はBea(ベー)という愛称で親しまれ、ケイトはベーの子育てに専念する為、夫のアンディと1から築き上げてきた大切な 【Kate Spade(ケイト・スペード)】を2007年に売却。
しかし、ベーが12歳になる頃には反抗期の時期もありケイトを少しうっとうしく思う素振りが見えた為、9年間の休業から再度ビジネスの世界へと戻ることを決意。
そして2015年に夫のアンディと共に、娘の名に由来したアクセサリーブランド【Frances Valentine(フランシス・バレンタイン)】を設立していました。
ケイトの人生~アンディとの関係~
1994年の結婚前から、ケイトとアンディは”恋人/ 夫婦”というロマンチックな関係だけではなく”ビジネス”のパートナーとして多くの時間を共にしてきました。
しかし、ケイトが自らの命を絶つ10ヶ月前程から、お互いから数ブロック離れた場所で別居生活をしていたといいます。
娘のベーは2人の家を行き来し、ケイトとアンディも頻繁に会い毎日会話をしていたそう。
ケイトの人生~事件当日~
2018年6月5日の事件当日、午前10時を少し過ぎた頃、ケイトのハウスキーパーが赤いスカーフを首に巻き変わり果てた姿のケイトを発見し通報。警察はこれを自殺と推測。
”事件前日に私と娘と話をした時、彼女は幸せそうだった”と話す夫のアンディ。
”まさか彼女がこんなことをするなんて予兆させる言動もなく、ただただショックを受けている。”
"私と娘は彼女が亡くなったことに心が打ちのめされ、彼女のいない人生なんて考えられもしないです。本当に心が痛み、既に彼女のことが恋しいです。”
"私とケイトは”法的”には別々ではなく、離婚のことなんて1度も話に出たことがなかった。
私達は親友と言えるような硬い信頼で結ばれ、2人の問題を2人なりに1番良い方法で解決しようとしている最中だった”
夫のアンディによると、ケイトはうつ病・不安障害に悩まされ、精神科に頻繁に通いその為の薬も服用していたという。ケイトが"アルコール中毒だった”という噂については、アンディは真っ向から否定した。
残された遺書
そして、事件現場には13歳になるベーに宛てられた遺書が残されているのが発見された。
気になるその内容は下記。
“Bea – I have always loved you. This is not your fault. Ask Daddy!”
「Beaへ あなたをどんな時も愛していたわ。これはあなたのせいじゃないのよ。パパに聞いてごらんなさい!」
どうしても気になってしまうのが、「パパに聞いてみて」という部分。
ベーが生前のケイトにどれだけ愛されていていたのかを夫のアンディが一生を掛けて伝え続けていくのは明らか。しかし、ケイトはアンディがケイトがこの世を絶った理由を内心知っていると思っているのではないか?と感じてしまったのは私だけだろうか。
多くのインタビューでは上記のように「うつ病などを抱えていたものの、事件前日まで彼女は幸せそうで、自殺の兆候が全く見られなかった」と主張するアンディ。
もちろんアンディを責めるつもりはない。しかし、彼女の成功を間近でずっと支え、1番身近な存在のはずのアンディでさえ気付けなかったこの事件。
心の病を抱える人々の本当の気持ちや、苦しみはやはり本人でないと計り知れないという事実を痛感させられる。
『本当の幸せ』って...?
13歳という、分別が付く娘を残してまでこの世を去ることを決意したケイト。
事故や身体的な病でなく、心の病気によって、ある朝大好きな母を突然亡くしてしまった彼女の悲しみは計り知れません。
心の病を抱える患者本人が辛いのはもちろん、残された大切な人達も「なぜ自分が助けられなかったのだろうか...」と一生苦しみ続けることでしょう。
自分で作ったブランドの世界観やアイテムが世界中から愛され、可愛い娘と20年間ビジネス面でも支え続けてきてくれた夫を持つケイト。
幸せそうな人生を送る彼女でさえ命を絶つ決断に迫られてしまったことが、本当に悲しく、改めて「幸せ」とは何かと考えさせられる。
世界中の多くの情報をリサーチしたが、結局彼女の死の真相に迫る決定的な出来事を残念ながら見つけ出すことはできなかった。
しかし、今の私達にも”できる何か”は存在する。
セレブの間で広がる”助け”を求める活動
ケイトの他に、西洋圏で絶大的な知名度を誇るシェフ兼番組司会者のAnthony Bourdain(アンソニー・ボーディン)もその1週間以内に、同じく自殺をして命を絶ったことに世界中が衝撃を受け、それについて多くの海外セレブたちはSNS等で反応を表した。
24時間無料で心の病を持つ人が相談のできる電話番号の拡散が、Instagram上でこの2人を惜しむ海外セレブの間で盛んに行われた。
こちらのページには、日本国内に住む方が無料で相談できる窓口をご紹介したいと思う。
私達をとっても可愛いデザインでハッピーにしてくれたケイトに愛を込めて、心からご冥福をお祈り致します。